C区の街並みは薄ぼけている。
処女航海を迎えた新しい船乗りが、まだ見ぬ新しい大陸と人生に胸躍らせ望む果て無い新しい海原から、希望だけをすっぽり抜き取ったくらい薄ぼけている。
凡庸な住宅街と、それよりもうちょっと凡庸な商店街があって、その裏っ側に凡庸と呼ばれることすら諦めて、ぶっきらぼうに胡坐をかいた飲み屋街があった。そこを都心へ向かう線路が横切った高架下のトンネルに私の憎むべきものを見つけた。
それは落書きだ。
例えば『日本死ね』や『セフレ求080』や 『愚連隊参上』や『HOPE』や『終末は訪れる』などと書かれた、ありふれた落書きだった。
これらは全て“テンプレート逸脱”なので犯人を特定して処分したいところだが、それは無理だろう。だが私たちが知りたかったことは分かった。
言葉ゾンビ共のシンパが、この街にもはびこっているのだ。それは由々しき問題だ。
インターネット上で好き勝手暴れているだけならまだ可愛い。特定が簡単だし、警察による“再教育”もたやすい。だが、言葉ゾンビの活動に感化された者たちがインターネット上ではなく、自身の住む街や周辺でこういった“テンプレート逸脱活動”を行い始めたということは、それだけ熱心な活動家が、また一人誕生したということだ。
私はスマホで写真を撮り、すぐさま“新言語秩序”の調査係にメールする。
有象無象の落書きを上書きするように、その言葉はでかでかと鎮座していた。
『言葉を取り戻せ』
言葉は人を堕落させる。
時に傷つけ、時に誤った思想へと扇動し、 心をかどわかす。
人間は言葉で作られる。
母が赤子に語る言葉。教師が生徒に諭す言葉。友との語らい。テレビ、ラジオ、本や音楽。ビデオゲームやインターネット。そういうものの積み重ねで人間性は形成される。 私にしたってそうだ。母から罵倒されて、 父に辱められた。クラスメイトや教師達に貶められた。醜い言葉によって心を蹂躙された者は、それに相応しい人間になった。
いつか同僚に言われたことがある。 「実多はまるで言葉の潔癖症」だと。
私に言わせれば、彼などは腐乱した言葉を口から垂れ流すだけの醜穢なゾンビだ。彼のような人間が未だに私たちの心を凌辱せしめんと跋扈している。何気ない日常の中で。路上で。インターネットで。
調査係からメールが返ってくる。
「実多さんお疲れ様。特定完了です。言葉ゾンビの希明で間違いない。やはりC区に潜伏しているようです」
テンプレート通りの返信。